【第7回】近ごろ気になる日本語(承前)

【第7回】近ごろ気になる日本語(承前)

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第7回】近ごろ気になる日本語(承前)

重金敦之

 1960(昭和35)年に刊行された『三省堂国語辞典』(通称『三国』)は今年の1月に第8版が改訂、刊行された。8年ぶりのことになる。「辞書は言葉を写す『かがみ』である」をモットーに、金田一京助、春彦、柴田武らとともに編集の中心となったのが見坊豪紀(けんぼう・ひでとし=故人)だった。新版でもその名前は表紙にある。
 『辞典語辞典』(誠文堂新光社)の「見坊豪紀」によると、「辞書編集者、用例採集者」とあり、元国立国語研究所所員。40代半ば、家族にも告げずに退職し、以後用例採集に生涯を掛けた。約145万枚ともいわれる「見坊カード」は、研究者などに惜しみなく提供された。雑誌「言語生活」(筑摩書房)に「ことばのくずかご」を終刊まで連載した。
 第8版では日常生活で広く見聞きし、今後10年間は使われるだろうと判断した約3500の新しい項目が加わった。伝統的な言葉はもとより、新語、インターネットなどで使われる若者語、各業界の隠語から発生した言葉に加え、新しい用法(慣用、誤用も含まれる)も採取、収録しているのを特徴としている。
 新しく採用された「チル」を 早速引いてみる。英語のChill Outから生まれた俗語で「のんびりとくつろぐ」といった意味だ。用例として「チルしに行く」とある。
<〔2010年代後半に広まったことば。形容詞化して「チルい」、動詞化して「チルってる」とも。「チルいミュージック〖=テンポのゆっくりした音楽〗」〕>
 元はヒップホップ系の音楽用語らしい。なるほど。いくら懇切に説明されても、聞いたことがない言葉だからピンとは来ない。「チルい」は若者用語の「まったり」と同義語とみる。本来は上方の方言で、牧村史陽の『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)には「食物の辛くない落ちついた味」とある。『広辞苑⑦』(岩波書店)には、①「落ち着きのあるさま」「重厚なさま」②「味わいがまろやかでこくのあるさま」とあり、③に「ゆっくりとくつろいでいるさま」と載っている。③はごく最近のことと想像される。同じ4版に「まったり」は収録されていない。
 このほか新版に採録された言葉には、ソーシャルディスタンス、黙食といったコロナ関連、飲食関係から、ホンビノス貝、麻辣(まーらー)、羽根付きギョーザ、ビャンビャン麺、バインミー(ベトナムのサンドイッチ)が挙げられ、他にもキラキラネーム、インフルエンサー、ツーブロック、猫パンチなど、目配りは実に幅広い。
 「三国」の特徴は「チルい」の説明で「2010年代後半に広まったことば」とあるように、広まった時期に触れていることだ。単なる「若者語辞典」や「新語辞典」にはなっていない。典型的な例として「やばい」を引く。
<〔俗〕①あぶない。「やばい、警察がくるぞ・やばい仕事〔=ⓐ法にふれる仕事。ⓑ安全でない仕事〕・もう帰らないとやばい〔=困ることになる〕」②すばらしい。感動や感激が強すぎてあぶない。「今度の新車がやばい・コンサートが楽しみすぎてやばい」③〔程度〕が大きい。「教科書の量がやばい・やばい〔=すごく〕おいしいよ・〔下の語と結合して〕やばうまい〕▽副詞・感動詞的には「やべ(っ)」「やっべ」とも。【由来】江戸時代のことば「やば〔=あぶないようす〕」から。①の例は明治時代からあった。②は1970年代から例があり、21世紀になって広まった。③はそのあとに広まった。>
 「やばい」については川端康成の小説『浅草紅団』(1930)や高見順の小説『いやな感じ』(1965)から、用例を挙げて、このネッセイでもかなり詳しく触れてきた。本来はあまり品の良い言葉ではない。これだけ意味が正反対に転じた例はあまりない。若い女性が、ヤバイを連発している光景に出くわすと、後期高齢者としてはどうしても「オヤ、オヤ」という気分になる。
 古くからある言葉でも新しい意味を持つようになった用例も採取してある。どんな辞書にもある「滑る」を引くと、一般的な説明に加え、俗語として、<じょうだんなどが、受けずに終わる。「漫才ですべる」>とある。
 また「盛る」も、俗語に<おおげさに言う。脚色する。「話を盛る」。けしょうや画像修正などをして、きれいに見せる。>と新しい使われ方を紹介する。
「引く」には「退く」を挙げ<相手が異様で、近づきたくない気持ちになる。例に「はげしい情熱に思わず退く」。しらけて、相手にしたくなくなる。「くだらないギャグに引く」▷1990年代からの用法>と最近の情報が入っている。
 さらに「はんぱ(半端)」を引いてみる。小項目に「・はんぱない」がある。
<[半端ない・ハンパない]⦅形⦆〔俗〕←半端でない。パない。パねえ。「はんぱない食欲・〔副詞的に〕半端ねえうまい」〔1990年代に例があり、21世紀になって広まったことば〕>
 どうです。面白いでしょう。なかなか読んでいて興味が増していく。別に自慢するわけではないが、「はんぱない」は、拙著『落語の行間 日本語の了見』の中でも取り上げ、「パネイ」にも触れた。
 新語を掲載するということは、古い言葉を消去することでもある。10年たって、誰もしらない、過去の遺物となってしまったことばは当然ある。自ら多くの辞典を編んだ碩学の奥山益郎には労作『消えた日本語辞典』(東京堂)があるし、新語と用例探しに情熱を燃やし、「三国」の編集者でもある飯間浩明氏は『辞書には載らなかった不採用語辞典』(PHP)をまとめている。


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 もう10年位前になるであろうか、朝日新聞の読書面で「リア充」なる言葉を見つけた時はびっくりした。見たことも聞いたこともなかった。同様の言葉では「つんでれ(ツンデレ)」も、最近新聞でときたま目にする。『三国』を引く。
<〔俗〕ふだんはつんつんしているのに、二人きりになるとでれでれする性格。〔2005年ごろから広まったことば。もとは女性に言った〕>
 「ラスボス」、「エモい」「きもい」「レベチ」(「三国」には未掲載)なども同様だ。やはり新聞よりテレビの方がこの種の言葉には敏感で、ドラマのタイトルや内容紹介、出演者のインタビューなどに、すぐ取り入れる。すると記事を書く記者やライターが、何も考えずに右から左へ原稿にしてしまう。どこかでチェックが必要で、そんな言葉を通す組織がおかしい。
 この種の若い人が好んで使う俗語(ITスラングという人もいる)で、私が最も早く気付いたのは「オフ会」だった。上野公園を歩いていたら、「オフ会会場」と書かれたチラシが桜の樹に貼ってあった。ネット上で知り合った人たちが、ネットから離れて実際に会うことだと教えられた。もしかしたら、今でいう「出会い系」関連だったのかもしれない。
『三国』は、用例を紹介するだけで、正誤の区別についてはあまり触れない。「慣用読み」で片づけてしまう。例えば「ひとごと」を引くと、漢字は人事で、他人事は当て字、熟字訓の記号が付いている。
<自分には関係ない、〈他人/よそ〉のこと。他人(たにん)ごと。>とあるので、たにん[たにん]を引くと、・たにんごと[他人事]の小項目があり、<ひとごと。〔「ひとごと」を漢字で書いた「他人事」を音読みしたことば〕>と記されている。
 つまり「ひとごと」よりも「たにんごと」の方が正解だといわんばかりなのだ。そうかもしれないが、長い間「たにんごとは他人事(ひとごと)の誤読」と教わってきた。私の辞書に「たにんごと」という言葉はそもそも存在しない。
 もう一つ同例として「ねあせ」を引いてみる。普通なら「盗汗」という漢字が浮かぶはずだが「寝汗」としか出ていない。
<ねむっている間に、からだや顔にかく汁。盗汗(とうかん)「寝汗をかく」>
 「盗汗」と書いて、「とうかん」と読むとは知りませんでした。使ったこともないし、聞いたこともない。念のため『広辞苑⑦』には<[寝汗・盗汗]睡眠中の発汗。(略)>と、二種の漢字を記載している。
 「他人事、盗汗の読み方を記せ」という問題に慣れ親しんできた世代には、何とも歯がゆいばかりだ。こちらがクイズ的な知識に傾斜しすぎたのだろうか。
 社名「左右社」の名付け親で書家であり、作家の石川九楊氏は朝日新聞のインタビューで「コロナが日本語を変えた」と答えている。また今野真二清泉女子大学教授は、近著『うつりゆく日本語をよむ』(岩波新書)で「書きことば・話しことば」に「打ちことば」なる考えを新しく加えた。=この項続く(2022,2,16)

◇次回の更新は3月2日を予定しています。

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