【第8回】近ごろ気になる日本語(承前・今回完結)

【第8回】近ごろ気になる日本語(承前・今回完結)

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第8回】近ごろ気になる日本語(承前・今回完結)

重金敦之

 書家で作家の石川九楊氏(新著『石川九楊作品集 俳句の臨界 河東碧梧堂一〇九句選』左右社)は朝日新聞のインタビュー(2022.1.29)に応え、「ウイズコロナやGOTOトラベルの例を挙げ、「コロナ禍以降、日本語の乱れが加速した」と喝破した。
「欧米などで、マスクを嫌う人たちが相当数いるのは、彼らの意思疎通は話し言葉が中心で、口が動いているのを見ないと、言葉の真意が伝わらないと感じる。キリスト教世界の人は話す際に神を意識するが、日本や中国では書くことで言葉が根拠づけられる。縦に書く行為で初めて『天』を意識する。」
 国会の証人喚問では証言前に「良心に従い真実を話す」などと宣誓を行うが、「良心に反し真実を話さない」例は、ご承知の通りごまんとある。神罰や天罰というが、日本人の神とキリスト教徒の神とは微妙に異なる。日本には「口約束」とか「二枚舌」「舌の根も乾かぬうちに」といった俚諺が多いことでもわかる。キリスト教徒は嘘をつかない、と言っているわけではないけれども。
 石川氏は「一点、一画を書いてこそ文字になる。『a、i』とキイを打ってから変換して、相や合から愛を選ぶのと、最初から愛と書くのではまったく違う。意識が中断し、イメージの連続性がきえてしまう」と危惧を示す。だからワープロやパソコンを使うようになってから日本の文学は変質してきた、とも指摘する。
 この論議はワープロが登場した時点からあったもので、ワープロ推進派の曽野綾子さん(だったと思う)は「ワープロで書いた小説と手書きの小説を読んで、その違いは判るはずがない」と発言した。40年ほど前の論争がまた復活してきた。1987年に「オール讀物推理小説新人賞」を受賞し、92年の『火車』(新潮文庫)で華々しく文壇にデビューした宮部みゆきさんは、当時「もしワープロが無かったら、私は作家になれなかった」と言っていた記憶がある。ワープロの出現によって、今まで長い文章を書くのにあまり慣れてなかった人でも長編小説を書けるようになった。
 清泉女子大学の今野真二教授(日本語学)は近著『うつりゆく日本語をよむ──ことばが壊れる前に』(岩波新書)で、「打ち言葉(著者は「ことば」と表記)」という言語態を紹介している。明治時代の二葉亭四迷の言文一致体を持ち出すまでもなく、「書き言葉」は「話し言葉」を取り入れるようになってから急激に変化した。今や「書き言葉」は「話し言葉」の影響を強く受け、「話し言葉化」の傾向が顕著だ。
 今野教授は、日本語が「うつりゆく」例として「……、4度目の緊急事態宣言が始まった」(朝日新聞21年7月13日朝刊一面)の例を挙げ、少なくとも「四度目の緊急事態宣言(下の日常生活)が始まった」程度に括弧内の文字を補足する必要がある、と苦言を呈している。
 書いた記者も読者の側もお互いに慣れ過ぎた結果、「話し言葉」風の省略が行われたのだろう。「うつりゆく」はやがて「崩れゆく」にたどり着くのかもしれない。
「打ち言葉」の表現自体はもちろん古くはないが、そんなに新しいものでもない。『三省堂国語辞典』では、第8版から収録されている。<メールやSNSでよく使うことばや文字。>とあり、「了解」を「り」と書く例を挙げている。20世紀末からの言葉と記している。「打ち言葉」は文字だけでなく、記号も頻繁に用いられるようになった。@や#などもそうだし、顔マークやスタンプもある。昔なら、文字ではなく図像、すなわちイラストレーションの範疇として考えられたものだ。
 極端な例だが、SNSなどで文末に使う「お疲れ様でした」の意味で、最初の二文字をとって「おつ」とだけ記す。そのうち「乙(おつ)」一文字に簡略化された。「笑い」の意味で「wa(わ)」から「www」となり、草のように見えるところから「草生える」→「笑える」となり、「草」だけになった。「モーニング娘。」など、人名や映画、ドラマの題名に句点を付けるのも「打ちことば」以降に増えたといえるだろう。
 今野教授のいう「打ち言葉」は単に記号や絵文字が増えてきたことだけに注目しているわけではない。新聞の見出しに着目し、文章化、コピー化していると指摘する。新聞の見出しは字数の制限があり、記事中の言葉から採るのが原則になっている。読点が増えているともいう。コピーというのは商品のキャッチコピーで、ムードや雰囲気を重視しマイナス要因をできるだけ避ける。
 耳に心地よい言葉、例えば「丁寧」「スピード感をもって」「緊張感をもって」など、政治家が好んで用いる言葉も、多くは商品のコピーに影響を受けている、「喫緊(きっきん)の課題」「ご理解とご協力」など、マイナスイメージが少なく、差しさわりのない言葉だけが氾濫する。「先手先手で対応する」「しっかりと検討していきたい」といわれると、突っ込むところが無い。「緊密な連携を取って注視していく」もそうだ。
 言葉自体に間違いはないから、うなずくほかない。結果としてどうなったか。多くは言葉とは裏腹で、なんの成果も見られないのは、先刻ご承知の通りだ。
 今野真二教授が、『うつりゆく日本語をよむ』という書名に「―ことばが壊れる前に」という脇見出しを添えている。書名というのは商品のネーミングだから、コピー的感覚が必要となる。帯の惹句(じゃっく)は大きく「日本語、緊急事態?!」とある。
 

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「話し言葉化」しつつある「書き言葉」にせよ「打ち言葉」にせよ、書くという行為は、書き手の存在を明示することで責任が生じ、また後世に伝えられる。日本語に限らず言葉は時代とともに変わるものだが、自国の言語を大切にする姿勢を考えると、日本人はいささか執着に欠けるのではないか。
 例えば「香害」といった新語を創りだす才能や、「Ripper Off」を「ぼったくり」と訳した共同通信記者の才智、電気器具などの取扱説明書を「トリセツ」と省略化する合理主義、芸人の世界の隠語だった「よいしょ」を一般化させる好奇心などを向上心とまではいわないけれど、日本人の言語に関する感性は大いに評価したい。外来語を頻繁に使いたがるのも、好奇心、劣等感に加えて文明開化以来の「和魂洋才」の知恵の結晶ともいえるだろう。だけど母国語への愛着が、少ないのかなあ。
 近ごろ気になっている言葉は「熱量」だ。これから、流行るような気配がある。第166回直木賞受賞作発表の記者会見で選考委員の浅田次郎氏は、今村翔悟氏の受賞作『塞王の盾』(集英社)について「作品の熱量が高く、力強い小説」とコメントした。
「オール讀物」(文藝春秋3、4月合併号)で、9人の全選考委員が恒例の選評を載せているけど、9人のうちなんと4人が今村作品について「熱量」を用いている。「高水準の候補作の中でも二作品の熱量が他を圧倒していた」(浅田次郎)「今村氏は、この熱量が、他の作家より秀れている」(伊集院静)「強い熱量を持って展開していくさまがみごとである」(角田光代)「その明るい熱量こそこの作者の持ち味だろう」(髙村薫)とある。
 熱量は電力や体内の活動に要するエネルギーの単位で、「ジュール」や「カロリー」の訳語だったはずだ。『三国⑧』では<熱気の度合い。「すさまじい熱量を持つ作家」>との説明がある。外来語が日本語化して新しさがなくなり、かえって訳語の漢字が新鮮に感じられるのだろうか。
 自国語を考える基礎になるのは、「きれいな言葉」「汚い言葉」「使いたくない言葉」を感じる審美眼だ。そこから「書き言葉」の知性は始まる。直木賞の選考委員たる作家が、ちょっと新鮮に感じたからといって同じ言葉を頻用する現状にはいささか寂しいものがある。石川九楊氏も今野真二氏も、「書きことば」が思索につながる、と述べる。だから言葉が崩れていくのは、思索の継承に影響を及ぼす。流行りの言葉を追いかけるばかりでは、いつか日本人の知性の衰退につながっていくような気がするのだ。=この項終わり(2022,3,2)

◇次回の更新は3月18日を予定しています。

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