【第5回】私の印章道楽(『文豪と印影』を読んで)

【第5回】私の印章道楽(『文豪と印影』を読んで)

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第5回】私の印章道楽(『文豪と印影』を読んで)

重金敦之

 三が日は昨年の光景をビデオテープで再現しているような気分だった。松が取れたら一変して、オミクロン株の跳梁は天井が現れない。あまり重篤な症状が見られないのが、微かな救いかもしれない。何はともあれ、今年もよろしくお引き立てください。
 一昨年あたりから、年賀状の風習は急激に衰退している。賀状をやり取りする知己先輩はすでに彼岸へ渡った人も増えてきた。賀状の宛て名まで印刷すれば別だが、加齢とともに字が上手に書けなくなってくる。今年で年賀状を止めますと書いてくる人が多い。本音は面倒ということだろうが、「環境保護を考え、紙を減らすため」などと高邁な理由を説明されると、こちらが何か悪いことをしているような気分になる。生存確認のために続けますと書いてくる人もいた。賀状は古い木版や雅印を懐かしむ季節でもある。
 そんな折に、文藝春秋の副社長だった西川清史さんが新刊『文豪と印影』を左右社から出版した。本書に収録された「印影」は古い出版物に見られる著者の「検印」にスポットを当てた。かつては奥付けに著者の印鑑が捺された小さな証紙状の小片を貼付(ちょうふ)した書籍があった。本書に拠れば「印表」というそうだ。糊や印肉が対抗ページに着かないようにパラフィン紙が挟んであったのもある。
 なぜ、そんな手間をかけた作業が必要かと言うと、出版社と著者の間で交わされる契約の確認だった。著者は出版社から、印税(著作権使用料)として、通常は一部につき定価の10%の支払いを受ける。あくまでも業界の慣行で、「書き下ろし」などは15%、写真集や画集は5~8%というケースもあった。
 出版社の中にはいい加減な会社もあり、著者には1,000部刷りました、といって、実際には2,000部刷っているかもしれない。その「詐欺まがい」の不正行為を防ぐために、著者の捺印を求めたのだ。しかし印表を二つに切って使用したり、著者に無断で版元が市販の三文判を勝手に捺すケースもあった。かつては口約束だけで、出版契約書を交わす商取引はほとんどなかった業界だ。
 出版業が拡大し、印刷部数も飛躍的に増えてくると、万の単位で個人が捺さなくてはならない。捺す方の労力は大変だし、印刷業者の貼る手間も大事だ。いつの間にか、印表は消えていった。
それでも、不正に印刷部数を増やした例はよく耳にした。小規模の出版社で爆発的なベストセラーが生まれたときなどに多い。逆に一流出版社でも、著者に示した部数を減らして、刊行する例もある。著者への義理立てや、他社から「うちだったら今の倍くらいは刷りますよ」などと、出版権を狙う攻撃への対抗策の場合もある。印税を余計に払っても、紙代と印刷製本の費用が浮くから、赤字は減るというつましい算段だ。
 もちろん版を重ねて増刷すれば、印表を追加しなくてはならない。重版になった時は印税を増額する時代もあったが、今はほとんど聞かない。増刷するたびに印刷所への「増刷依頼書」の写しと増刷時の「見本」を必ず送ってくれる丁寧な出版社もある。長い間の慣行だった10%の印税額も、昨今の出版不況のお陰で8%とか、7%といった話も聞く。
 本書には、森鷗外、夏目漱石から、石原慎太郎、開高健、大江健三郎まで130人、170の印影が収められている。印影を集めた書を「印譜」というが、書籍の検印に限った印譜は珍しい。印影の形も丸や角など実印に似た印から三文判、シャチハタ風のものまで実に変化に富んでいる。本書に収録された検印で一番古いのは明治35年の森鷗外(『即興詩人』春陽堂)で、新しいものは平成7年の丸谷才一(『七十句』立風書房)。最も多いものは昭和30年代だったという。印表はすぐに消えたわけではなく、しばらくは「無検印著者承認」とか「著者との協定により検印廃止」と断り書きが印刷されていた。丸谷の本はすでに印票が消滅した時代だから、古希を記念した著者一流の「遊びごころ」だったのだろう。
 圧巻は永井荷風の17点、荷風全集(岩波書店)に捺された16点が面白い。荷風は愉しみで、自分でも篆刻を能くした。中でも第19巻の「断腸亭」と読める印形は、谷崎潤一郎がわざわざ北京の金禹民に頼んで作らせた。谷崎は荷風の趣味を知って、色紙を荷風に頼んだ際のお礼として贈ったものだ。荷風は大正8年から30年近く戦時中麻布市兵衛町(現港区六本木1丁目)の「偏奇館」と称した洋館に住んでいた。昭和20年3月10日未明の東京大空襲で全焼したが、翌日その灰燼の中から何の損傷もなく見つけ出されたものだという。

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 ところで、私の唯一の道楽といっていいのが、実は印章だ。別に自分で篆刻するほどの器用さを持ち合わせていないので、ただいろいろと印材を集め、作らせて楽しむだけだ。周りに同好の士が居るわけではなく、印章文化は廃れていく傾向にある。ひそかな楽しみとして道楽と称する所以だ。

多様な印材。前列中央が鶏血石。


 本書の印影を見ていても、どのような印材なのか気になるし、石の質感や捺し具合も試してみたくなる。私が印章に興味を覚えたのはかなり古く、小学生のころだから本の検印のお陰でもある。私が好きな印材は鶏血石という赤い血の色の模様が入っている中国特産の硬質天然石だが、最近は人工的に赤色を入れた模造品もあるようだ。社会人になった時に父が愛用していた鶏血石の落款風の印章を譲り受け、実印として登録した。文具店にある三文判のケースには絶対に無い稀な苗字の所為もある。
 石の他にも黄楊(つげ)、黒檀(こくたん)、彩樺(さいか=合成材)などの硬い木や竹が有る。変わったところでは、象や水牛などの角や牙。日本で象牙がもてはやされたのは、印章による需要が高かったからだろう。今では世界的に禁じられ、表向きには流通していないはずだ。
 最近ではチタンやタングステンなどの金属類に人気がある。琥珀や水晶、瑪瑙(めのう)などもあるが、水晶は欠けやすいのが難点だ。合成樹脂やセルロイドもあった。わざと軟らかい石材を使って、欠損した風情を楽しむ人もいる。
 印章は書籍の検印のために生まれたわけではなく、書道の文房四宝(筆、硯、墨、紙)に付随して楽しまれてきた。書家や画家が署名として用いる落款の需要が多かった。印材もさることながら、印肉(因泥という)や印肉を入れる容器(印池、あるいは肉池という)も愉しむ対象となる。

真鍮製の印池(左)と陶製の朱肉入れ(右)。印池あるいは肉池と呼ぶ。


 40年も前のことになるが北京の文房四宝の店が並ぶ瑠璃廠(リゥーリチャン)へ行ったときは興奮したものだ。市内の露店市へ行けば、使い古された印章が多く並んでいる。使用品だから他人の名前が彫られている。日本へ持ち帰り、印面を削り新しく文字を彫り直せばよい。その折の印材を印章彫刻家の重鎮、小川瑞雲(ずいうん)のところで彫ってもらった。確か店は両国の大川傍に在った。もちろん手彫りだが、最近はコンピューターを組み込んだ機械彫りも多い。そこで修業した岡本尚山さんが新宿に店を出しているので、2回ほど頼んだことがある。瑞雲の銘が入っている印形を見せたら、大変懐かしそうに見入っていた。
 画家や書家が自分の署名の後に推すのが落款で、松本清張は、旅に出るとき筆と落款を持参した。旅館などで、地元の名士や旅館の主から色紙などの揮毫(きごう)を頼まれるからだ。一枚一枚入念に書くので、時間が無くなり、いつも二、三点しか出来あがらなかった。 
 遊印(ゆういん)というのもある。一種のお遊びなのだろうが、発生は中国で、署名や落款の他にまったく関係のない座右の銘というか、好きな言葉を印にしてさりげなく捺すのだ。もちろん「検印」には相応しくない。「吾唯足知(吾ただ足るを知る)」とか「麻中之蓬(麻の中のヨモギ)」などの四文字熟語や論語、漢詩から好きな言葉を選ぶわけだ。「成語印(せいごいん)」ともいう。
 本書を読み進めていくと、つい印影の持ち主に興味が引かれて行く。今まであまりスポットライトが当たらなかった分野から印影を博捜、収集した作業は苦労がしのばれ、その功績は大いに称揚されるべきだ。著者は自製の検印を捺した昔の奥付風な造本にした。見事な結末だ。今や衰退気味の印章文化に復興の波が来ることを応援するばかりだ。
 以前に「近ごろ切手をまっすぐに貼れなくなった」と書いたが、実は最近は印章もまっすぐに捺せなくなった。どうしても歪んでしまう。角印は印矩(いんく=押捺のための定規)を使えば問題ないが、丸印は困る。こうなると、もう終わりかもしれない。ご参考までに私の愛用する印章と印池を披露するご無礼をお許し願いたい。究極のアナログ文化に遊ぶ、「印章馬鹿」ぶりをお笑いください。


(2022.1.19)
◇次回の更新は2月2日を予定しています。

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