2022年10月某日 看護師ほど苦労の多い仕事はないのではないか、入院するたびにつくづく思う。感謝以外に言葉が浮かんでこない。とはいっても、最近はひと昔もふた昔も前に言い古された「白衣の天使」のような奉仕と献身の精神に満ち溢れた看護師ばかりとは限らないようだ。「職業看護師の母」と謳われたナイチンゲールは、「犠牲」という言葉をあまり好まなかった。労働には相応の報酬が伴うことを強く主張した。
患者の立場から望見するだけだが、看護師の勤務条件は厳しい。あらかじめ決められた勤務表の「ローテーション」に従って出勤する。最も多いのは朝の8時から夕方の4時までの「日勤」だ。夕方4時から夜の11時まで働いて、翌日の6時に出勤する「準夜勤」と称するスタイルもある。病院の宿直室に泊まっても、自宅に帰ってもいい。皆さん病院の近くの寮か社宅に住むか、近くのアパートを借りている人が多いようだ。
勤務時の服装については、厳しい規定がある。髪の毛の色も定められている。あまり派手な茶髪はいけない。ほとんど黒に近い色の人が多い。化粧やアイメークは薄めで、靴下や下着の色も白色と定められている。やはり見た目の清潔感と仕事の衛生面の実用性が重要視されるのだろう。看護服のまま院内のコンビニに入ってはいけない、などといった細かな規則もあるらしい。朝日新聞(22年10月20日)が「看護師の謎ルール、『清楚で従順』」として、看護師の現場に残る因習を取り上げていた。
10月某日 入院して、丁度4週間、退院することになった。さあ、大変。何を履いて帰るのか。右足は厚く包帯が巻かれているので、靴は履けない。右足だけスリッパという奇天烈な恰好で、タクシーに乗せられた。杖も使わずに、一人でなんとか歩ける程度だから足元はおぼつかないこと甚だしい。退院日を告げられたのは、3日前。入院したときは、まだ夏の気配が残っていたが、今はもう秋。大袈裟だが、浦島太郎の気分。
10月某日 体重は4キロほど減っていた。それはそうだろう、食べ物らしい食べ物はほとんど口に入れていない。毎食、小丼ほどのご飯を見るだけでも、げんなりしてくる。一度、ご飯の量を減らしてほしいと申し出たら、「厚生省の基準に合わせてあるので、多かったら残して構わない」との返事。後期高齢者と若者では、食べる量が違うはずだ。老人向けの献立が研究されてしかるべきだ。現在の日本人の食生活を見ると、「朝食抜き」の人が男女の別を問わず増えている。とくに男女の別を問わず、若いビジネスマンはほとんどとらない。
食糧難の戦争中のように昼間から空襲があった時代では、三度三度の食事にありつける保証がなかった。朝食を食べ損ねたら、昼と夜の食事は無いかもしれないのだ。こんな時代に「食事を抜く」ということは考えられなかった。
そう考えると幸せなことなのだが、今や地球的に「フードロス」を考えなくてはいけない時代なのだ。何も「美味しくないから」とか「痩せたいから」といった贅沢な理由からではなく、資源保護として食糧問題を考えなくてはいけない。そんな時、どう考えても食べられない量のご飯を出されるのは、心が痛む。入院して治療中にストレスを抱えるのはよくない。「残しても構わない」というだけの問題ではない気がする。
11月某日 映画「ソウル・オブ・ワイン」を有楽町で観る。映画館に入るのは、何年ぶりだろう。フランスのブルゴーニュでワイン造りに携わる人たちと四季の移ろいを追ったドキュメンタリー。別に難しい話ではなく、ブルゴーニュの葡萄畑を見ているだけでも楽しい。高名なドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ(DRC)の共同経営者、オベール・ド・ヴィレーヌが生き生きと働いているシーンもあった。この人は葡萄畑に居る時の顔が最もいい。現在は監査役に退いたが、確か私と同年のはず。
パリで日本人ソムリエとして活躍している石塚秀哉も登場していた。1967年夕張の生まれ。87年に行われたSOPEXA(フランス食品振興会)主催のソムリエコンクールで優勝した。当時なんと弱冠20。札幌市内のレストランで働き、北海道代表として全国大会に登場してきた。いろいろと取材したが、いつから酒を飲んでいたのか、などと野暮なことは聞かない。石塚の才能をいち早く見抜いた札幌のレストラン経営者は大した人物だ。
再び石塚秀哉と会ったのは、10年近く経った96年、ボルドーのポイヤック村のホテル「シャトー・コルディアン・バージュ」だった。経営は、あのシャトー・ランシュバージュ。レストランは一つ星で、彼の地の有名ワインメーカーたちが世界中から来るバイヤーやレストラン経営者、食通たちを接待するのに用いられる。
石塚はシェフソミリとして活躍していた。20年ぶりの再会なのに、彼はちゃんと私の顔と名前を憶えていた。これも、ソムリエとしては貴重な才能のひとつだろう。二つ星に格上げして、堂々パリに凱旋し、今ではパリのサンジェルマンにあるビストロ「ル・プティヴェルド」のオーナーソムリエ。世界のワイン業界で華々しく活躍している日本人の一人だ。
日本の映画館のスクリーンで、お目にかかれるとは夢にも思わなかった。
12月某日 久しぶりにワイン仲間の忘年会。中野駅北口の「第二力酒蔵」。コロナ禍などの理由から、最近はほど大人数で食事を共にする機会はめっきりと減った。
池波正太郎の『剣客商売』シリーズの内、長編『暗殺者』(新潮文庫)に、ちょっと面白い料理の情景が出てくる。
江戸の麻布、目黒から渋谷にかけて、香具(やし)の元締めとして、暗黒街で知られた萱野亀右衛門(かやの・かめえもん)が登場する。浪人者の波川周蔵(なみかわ・しゅうぞう)は、亀右衛門から50両で人殺しを依頼されるが、ななか首を縦にふらない。
目黒不動近くの料理屋、山の井の座敷で二回目の密談が行われている。亀右衛門は門前に亀田屋という茶店を開き、女房のおさいを女将に据えている、おさいは妹のお幸に近くの山の井を任せている。両店とも筍飯や菜飯が旨いという評判だ。
奥の間には小さな炉が切ってあり、品のよい老人のなりをした亀右衛門が自ら箸を取って何やら勧めている。土鍋に昆布を敷き、湯をそそぎ、煮え立ってくると昆布を引き、猪の脂身の細切りを鍋の中へ入れた。大皿にたっぷりと盛られた輪切りの大根を、菜箸で土鍋中へ静かに入れ始める。飴色の土鍋も見事だったが、大根もみずみずしく、いかにも旨そうだ。大根のみで他には何もない。猪の脂で大根を煮ながら食べるという、単純にして素朴きわまりない鍋だ。なんの外連(けれん)も、見映(ば)えもない。
元締めは、「この大根は練馬のお百姓に頼んで、届けてもらうのですがね……」といいながら、ふうふう口をとがらせながら、食べている。亀右衛門の出身地、越中ではよく試みられたという。雪深い山間部では、何より体が温まる大ご馳走だったのだろう。
以前に自宅で豚のしゃぶしゃぶ用三枚肉で試みたことがある。大根は千六本に切り、さっと湯通しをしておく。アクをこまめに取る必要がある。つけ汁はぽんす醤油に一味唐辛子、万能ネギの小口切りがあれば、言うことはない。今回は合鴨を使い、鍋に出汁と醤油と味醂で軽く味をつけておいた。鴨は表面に焼き目を付け、薬味は青葱の小口切り、柚子の糸切りに一味唐辛子を用意してもらった。合鴨は煮過ぎないことが肝要だ。
鍋の中の具材は二種類だけ。単純に合鴨と大根の滋味を味わうのが目的だ。最近は、寄せ鍋と称して、いろいろな具材を入れ過ぎる。こんな猪と大根だけの鍋では、料理屋は金子を取りにくい。考えてみれば、牛鍋も肉とネギだけだった。鶏鍋も然りだ。鍋ではないが、「ねぎま」は鮪とネギを醤油と砂糖で甘辛く煮たお惣菜だった。具は中心となる一品に、野菜も一種でいいのだ。タラ(鱈)と豆腐、鯨のコロにハリハリ菜などの例を見ればわかる。
だいたい茶碗蒸しや松茸の土瓶蒸しもそうだが、長崎のちゃんぽんの影響をうけたのではないかと思えるくらい、いろいろなものが入っている、銀杏、三つ葉、椎茸は良いとしても、鶏肉、海老、かまぼこ、鱧、松茸、しめじ、と来る。
寄せ鍋ともなると、カニや魚介の上にこんにゃく、白滝、クズキリ、さやいんげんに油揚げまで加わると相撲部屋のチャンコだ。だいたい現在鍋で大手をふっている白菜は、江戸時代にはまだ渡来していない。明治期になってからだ。
日本で一軒しかない鮟鱇鍋の専門店、神田の伊勢源では、必ず白独活(シロウド)が入った。大阪の美々卯は「うどんすき」を創案したといわれるが、うどん屋の料理屋に対するコンプレックスと対抗心から生まれたもので、原点は「おかめうどん」あたりにあるのかもしれない。うどん屋の出世なのか堕落なのかは、何とも言えない。
鍋講釈はその辺にして、料理の献立は、岩手山田湾の生牡蠣(ガキ)、氷見産の鰤(ブリ)を鯵(アジ)のタタキ風に造り、鱈(タラ)の白子をムリエルにしてもらった。
問題はワインだ。シャンパンは、フランソア・デュボアのブランドブランとアンリ・ジローのオマージュ オー ピノ・ノアールの2本。
白ワインは、 ブルゴーニュ アリゴテ2020(オレリアン・ヴェルデ)
サントリー「ワインのみらい」2020 登美の丘ワイナリー甲州古木園育ち(1300本限定)
赤ワインはシノン クロディゾレ 2019(ドメーヌ ジャン モーリス ラフォー)とコート・ロティ ラ・ランドンヌ 2010(Eギガル)
なんか3年間のうっ憤が溜まっていた感じがする。6人で6本、まだ飲み足らなそうな顔をしているが、病み上がりにしては、飲みすぎだ。
23年1月某日 新年も無事に明けた。なかなか「当たり前の日常」は戻ってこない。のんびりと正月を迎える予定だったが、昨年の入院中の検査で、何やら不審な兆候が見つかり、再び入院して今病室にいる。そんなわけで、再開するだんどりがすっ飛んでしまった。なにごとも頭の中で描いた通りには進まない。
てなわけでしばらくお休みいたします。寒が明け、花の便りが聞かれる頃には、またお目にかかれることでしょう。読者諸賢のご健勝を祈っております。
=敬称略(2023.1,18)
◇次回の更新はしばらくお休みいたします。