【第14回】佐々木朗希と松川虎生、そして審判談義

【第14回】佐々木朗希と松川虎生、そして審判談義

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第14回】佐々木朗希と松川虎生、そして審判談義

重金敦之

 テレビのニュースをみていると、コロナ禍とウクライナ侵攻に知床観光船の沈没と暗いニュースばかりだ。「食傷」などといってはいけないのだが、多くの人が「共感疲労」を抱えている。心理学の用語で、「同情疲労」ともいう。なかなか明るい展望が開けてこないので、余計に疲労が溜まる。
 この暗い世相を明るくしているのが、アメリカの大リーガー、大谷翔平と将棋の藤井聡太の二人ということは、機会あるたびに述べてきた。二人の活躍がなかったら、疲労はもっと蓄積しているに違いない。
 ここへ来て喜ばしいことに、大谷、藤井に次ぐ「第三の男」が登場する気配だ。28年ぶりに完全試合を達成した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手だ。
 その実力は160キロ近い球を投げる高校生として、岩手県の大船渡高校時代から注目されていた。2019年の夏の甲子園大会の県予選決勝戦で登板しなかった。國保陽平監督が準決勝で投げた佐々木の疲労を考慮して、試合に出さなかったのだ。今までの高校野球の常識にはない采配で、当然のごとく猛烈な批判を浴びた。盛岡第一高校から筑波大の野球部、アメリカの独立リーグまで経験した國保監督が迷った末に出した決断だった。
 今になって思えば、素晴らしい英断で、称賛されてしかるべきだ。大船渡高が私立のスポーツ名門高校ではなく、県立の普通高校だったから出来た決断だったかもしれない。高校野球を職業にしているような「プロ監督」ならば、決して休ませなかっただろう。全国のファンから批判の声が高校に届けられた。その影響かどうかはわからないが、國安監督は野球部の指導から遠ざかり、最近になって副部長として復帰したという。
 20年にドラフト1位で千葉ロッテに入団したが、この年1軍では1試合も登板しなかった。投げさせなかった井口資仁監督の指導方針やそれを認めた球団の理解もすごい。5月15日の朝日新聞「男のひととき」欄に、「朗希投手のおかげ」という投稿が掲載されている。君津市の83歳の無職の人で、次のように書いている。
<27人目の打者を空振り三振に打ち取ったのを見て、弱冠20歳の快挙に酔いしれた。
 翌週の試合でも、8回までパーフェクトに抑えた。怪物中の怪物だ。
 朗希投手が投げるフォームを見ると、高校を中退して国鉄スワローズに入団したばかりの金田正一投手を思い出す。大きく腕を振って投げる姿は美しかった。朗希投手はさらにダイナミックである。
 もっと生きていたい。老いの身は希望をもらった。期待している。>
 83歳の老人に生きる希望を与えただけでも、立派なものだ。二試合連続完全試合は達成できなかったが、13人連続奪三振の新記録も素晴らしい。今までの記録は1957年の梶本隆夫(阪急)、1958年の土橋正幸(東映)の9人連続だから、けた違いの「超絶投球」だ。1試合19奪三振は、1995年にオリックスの野田浩司投手(1968年生まれ)が成し遂げた記録とタイになる。
 佐々木投手の陰にいるもう一人、今年入団し、バッテリーを組んだ松川虎生(こう)捕手と巡り会ったことも、好運だった。和歌山市立高校からドラフト1位の指名を受けて、開幕日から即スタメンで登場した。高卒のキャッチャーで開幕スタメンというのは過去に二人しかいない。1955年に愛媛県の八幡浜高校から大映(後に大毎東京オリオンズに改名)に入り、晩年は阪神でも活躍した谷本稔と現在でも東北楽天イーグルスでプレーしている炭谷銀仁朗(2006年入団、平安高校、西武、巨人)だ。1955年当時はまだ野球のレベルが低かった。二人目の炭谷登場まで半世紀を要したことからも、いかに難しいことかがわかるだろう。
 松川虎生捕手の存在感を示す逸話がもう一つある。完全試合の翌週の試合の話だ。相手はおなじくオリックス。この試合で白井一行球審とひと悶着あった。白井審判は1977年生まれで、1500試合以上出場しているベテラン審判だ。佐々木の態度が球審の判定に対する抗議と受け取ったのか、マスクを取って佐々木のところにつかつかと詰め寄った。私もテレビで見ていたが、なぜなのかよくわからなかった。
 実況のアナウンサーも解説者も黙ったまま。松川捕手が主審を追いかけ、いかにも割って入るように前に出た。ベンチから井口監督が飛び出して二言三言。主審は2塁の責任審判と言葉を交わして収まった。唇の動きから松川に対して「なんだ、おまえ」と怒気を含んだ言葉を発したように感じた。松川捕手の沈着な振る舞いはとても18歳の新人とは思えない落ち着きがあった。
 野村克也は「キャッチャーは審判に逆らうな」と、常々言っていた。『野球は頭でするもんだ!』(野村克也・朝日文庫)には、次のような話が載っている。
 間違いなくストライクと思っても「ボール」と判定されたとき「コースが外れていたのですか、それとも低かったのですか」と尋ねることがあった。面と向かっては言わない。球審に背を向けたまま、いう。「低いと見ました」と断定する審判は判定に自信がある人で、自信のない人は「低いんじゃないかなあ」などと語尾をぼかすそうだ。
 「紙一枚はずれています」などという人がいれば、「今日はそのコースは取りません」という人もいる。審判は味方にできないまでも、決して敵に回してはいけない、という結論に達した。目立ちたがりの審判には徹底的にゴマをすった。「紙一枚」といわれれば、「良う見えますな」といい「今日はそこのコースを取らん」といわれれば、投手に向かって「今日は審判の調子がいいから……」と、いった。お世辞だか皮肉だかわからない。
 その野村が「ストライク、ボールの判定技術はともかく、性格に気を付けなくてはいけない審判の一人が白井だ」と、側近の元ヤクルトコーチ、橋上秀樹に漏らしていた。
 最近はアメリカに倣って、ビデオ判定を取り入れているが、ビデオによって判定が覆ったとしても、審判の査定に結びつかないのはいかがなものか。今年アメリカの大リーグで1イニング4回も同一審判の判定が覆ったことがあった。年度末にはリクエストの成否を発表して、優秀な審判を表彰すればよいのにと思う。昔は超人気選手の一部に、審判に向かって「お前、誰のおかげで飯食ってると思っとるんじゃ」と恫喝する姿勢があった。また来日した元大リーガーの中には、日本の野球をなめているところがあり、審判に毒づく選手が多かった。近ごろようやく審判の権威が確立したように思える。
 白井審判はプロ野球の選手経験はない。別にプロの経験が無くても構わないが、アマチュア出身の審判は、どうしても選手を教育しようとする傾向があるように思える。佐々木投手と同じ学年で、2019年の甲子園大会に岡山代表として出場した西純矢投手(創志学園・阪神)はアウトを取るたびに、マウンド上でおたけびを上げ派手なガッツポーズを繰り返し、球審からきびしく注意された。この注意でリズムを崩したのか、2回戦で敗退した。これは高校の指導者が悪い。プロアマを問わず、派手なガッツポーズは後で相手チームから報復される場合がある。西純矢は全日本にも選ばれ、投打に活躍した。現在の球界では大谷に次いで「二刀流」の可能性を秘めている唯一の選手だろう。先日も自身第1号となる本塁打を打った。
 私も中学校野球の東京都大会の審判(塁審です)を務めた経験があるから、審判が指導したがる性向はよくわかる。まだ10代の学生とプロの選手では、違うのが当たり前だ。草野球では「俺がルールブックだ!」と「迷言」を残した元プロ野球の名審判、二出川延明のジャッジで試合をしたこともある。名審判の哀しくも幸せな老後だったかもしれないが、得難い貴重な体験だった。
 この白井審判を巡る騒動は異常に波紋が広がり、プロ野球のOBを初め、元審判員や他競技の選手、審判まで百家争鳴のおもむきだ。誰でも審判については一家言持っていて、口を挟めるからだ。
 話は変わるが、大相撲の行司もビデオ判定を受ける。意見を述べることはできるが、採決には加われないという悲しい宿命を行司は負っている。物言いが乱発されるのも困るが、五月場所は明らかに物言いをつけるべき取り組みが多数あった。
 中入り前の幕の内土俵入りには、東側と西側から検査役の前を通って土俵に上がる。軽く会釈をして土俵に上がるのが通例だが、なかには会釈とお辞儀の区別が付かない関取がいて、手をそろえて丁寧にお辞儀をする人が多い。人の前を横切らない、人を指さしてはいけない、室内では帽子を脱ぐ、これらは日本独特の礼法でエチケットだ。あまり深々と一礼すると、いかにも検査役にゴマをすっているみたいな気がする。大谷は捕手と球審の前を横切らずに後ろを回って打席に入る。この挙措はアメリカで褒められた。どこの国でも、わかる人はわかるのだ。
 どうも話の方角がとんでもない方向の逸れてしまった。佐々木朗希と西純矢に松川虎生が新しいスターに成長するのを願うばかりだ。

=敬称略(2022.5,25)


◇次回の更新は6月8日を予定しています。

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