【第9回】あなたは「さま派」それとも「様派」か

【第9回】あなたは「さま派」それとも「様派」か

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第9回】あなたは「さま派」それとも「様派」か

重金敦之

 大学に勤務していたころゼミの学生に私の自宅宛ての手紙を書かせたことがある。20年以上前の話だ。封筒の書き方や切手の貼り方など、手紙の常識を修得してもらおうと思ったのだ。過保護と思われるかもしれないが、学校でも家庭でも全く教えない。一人の女子学生が「クロネコメール便」で送ってきたには仰天した。
 当時はヤマト運輸がセブンイレブンと組んで、郵便に類似したサービスを行っていた。確か郵便料金よりは少し安かったのではないか。しかし信書を送る郵便事業は日本郵政(株)の認可事業で、クレジットカードが信書にあたるか、が問われた。差出人も罪になるといった議論があり、2009年に登場して6年ほどで消えた。私の意図はあくまでも切手を貼ってポストに投函する郵便が狙いだ。説明が足らなかったのかもしれないが、メール便は想定外だった。
 最近は見ず知らずの雑誌への寄稿依頼であっても、担当者と顔を合わせることなく、メールだけで済ますようになってしまった。丁寧な会社だと、最初に企画書なり依頼書と見本誌を添えた手紙を送ってくる。「お目にかかって説明します」と書いてあっても、本音は会いたくないなということがなんとなくわかることもある。その後はメールでのやり取りになる。
 当方の宛て名に「様」と書いてくる人と「さま」と書く二派がある。メールを始めたころは、なぜ「さま」なのかと、不審に思ったものだ。変換の手間を惜しむのかと考えたが、そうでもないらしい。
 私はどんな場合でも「様」と漢字で表記し「さま」は使ったことがない。幼時からそう教えられてきた。人の敬称はあくまでも漢字を旨とする。小学校5年から千葉県の千倉へ臨海学校の行事があり、自宅宛てに葉書を出す課題があった。一週間足らずの期間だったが、2回ほどのやりとりが出来た。家を整理したら、当時の葉書が出てきた。父からの返信の宛て名は殿とあった。家族間の間で年長者から年下の者に出すときは殿を使った。我が家だけの慣習だったかもしれない。
 作家の渡辺淳一は自著を世話になった人や編集者に献本するとき、墨汁でため書きの署名をするが、いつも「さま」と書いた。私の流儀というか、趣味の問題だが「さま」は受け入れがたい。2度ほど「様」にしてもらったが、書きにくそうにしているので、いつのまにか「さま」に戻ってしまった。
 ネット上で、「敬称に『様』ではなく『さま』を使うべき理由」という記事(というのかわからない。「ブログ」というのかな)に出会った。漢字の「様」にはもともと敬称の意味はなく、当て字だという。そんな言葉はごまんとある。様という敬称は近世から例があり、ごく普通の日本人なら何の違和感もないはずだ。「間違った日本語になりえる」と書くが、それは詭弁というものだろう。
 もう一つ「さま派」の根拠として、共同通信が発行する『記者ハンドブック 新聞用字用語集』を挙げている。「なるべく平仮名である『さま』を推奨している」と書くが、当該本はあくまでも新聞記事を書く際に用いる一企業の手引き、ガイドブックの類であって、教科書ではない。
 漢字の様を使うと、「文面において黒色の割合が増えて、可読性が悪くなる」また「文章が硬い印象になり、読んでいて疲れる」とあるが、そうだろうか。黒色が増えるといった読者の視覚的印象を考える視点は、重要なことだが、様一字で黒色が増え、読んで疲れるのは漢字が多いからでなく、文章が下手だからだろう。
 私は原稿を依頼されれば、必ず「組みの縦横と何字詰めで何行なのか」を確認する。見本誌があれば、その字詰めと行数に合わせる。漠然と「400字詰めの原稿用紙で何枚お願いします」といわれても、出来上がった紙面のイメージが湧かない。一字で改行になったり、隣の行に同じ言葉が並ぶことがあるからだ。そこまで考えるのは「余計な世話」という人もいるだろうし、多忙な作家はそれだけの余裕が無い。話が逸れた。漢字の「様」では紙面が黒くなり、読みにくいから「さま」を使えというのは、本末転倒、木を見て森を見ないようなもので、少し乱暴すぎる。
 共同通信のハンドブックによれば、「皇室関係の人の敬称は『さま』を用いる」とあるのも「さま派」の根拠の一つらしいが、これは皇室と一般国民との距離を考えた、親しみやすさのためであって、「なければならない」といったものではない。
 相手が様を使う人には同じく様で返す人がいる。「さま」できたメールには「さま」で返信する。肝心の相手が気づいてくれなければ、ここまで気を配っても、あまり意味はない。親しい仲なら本文では宛て名を省略するようになり、敬称の心配も要らなくなる。
 銀行とはあまり縁がないけど珍しく封書が来て、表書きは「様」だったが本文の冒頭が「さま」となっていたので、担当者に「私は『さま』嫌いだ」といったことがある。私どもの銀行ではホームページなどでも「お客さま」を使って、なるべく「さま」にしております、というような説明だった。別に公文書といった堅苦しい書類ではなく、よく知っている行員だから、気軽に書いたのだろうが、「なんだかなあ」と思う。
 かつて一時期、病院で患者を呼ぶときに看護師が、「〇▽さまぁ、〇△さまぁ、お部屋にお入りください」と「さまぁ」を連発したことがあった。なにか尻がこそばゆくなるような案配で落ち着かなかったが、いつの間にかなくなってしまった。まさにやりすぎというもので、「さん」で充分だ。だいたい「さん」は「さま」から変化したと考えられる。
 今では病院でも個人情報の管理がやかましくなり、番号で呼ぶようになったところが多い。留置場か監獄(幸い入ったことはないけど)の気分だ。確かに名前で呼ばれると、会いたくない人がいるときなど逃げ出したくなることもあった。この患者を「さまぁ」と呼ぶスタイルはいつの間にか消えてしまった。
 看護師、患者双方ともなんとなくそぐわない感じがして、普及しなかったのだろう。大袈裟にいえば、新しい習慣なんてみんなそんなものだ。それが認められ、多数の人びとに定着、認知され、新しい文化となると考えればいい。そのうち手紙や葉書の宛て名の敬称が「さま」に代わる時代がくるのか。
 もっともその前に郵便制度が崩壊しているかもしれない。話はそれるが今の郵便制度は崩壊したのも同然だ。土曜日の配達を止めた結果、多くの郵便物は翌日に届かなくなった。同一郵便局内宛ての封書を木曜日の夕方までにポストへ投函しても、着くのは4日後の月曜日になる。世界に誇る日本の郵便事業も昔のイタリア並みに堕ちてしまった。
 だいたい葉書用の普通切手(63円)がウメ、封書用(84円)がソメイヨシノというのも気にいらない。夏や秋になっても、梅や桜の切手しかない無神経さに腹が立つ。民営化が聞いて呆れる。昔は仏像や風景など普通切手には季節感が無かった。現に2円(エゾユキウサギ)や10円(トキ)、20円(ニホンジカ)などは動物や鳥類だ。お客の立場に立った細やかな心配りが全く見受けられない。
 郵便小包の伝票や、レターパックの住所を書く欄で、宛先に様が印刷されているのはまだ良いとして、差出人の名前のところにまで様が印刷されている。そのまま投函する人もいるだろうが、律儀な人はいちいち「様」を消している。そうかと思えば、伝票に「ちょう付欄」と書いてあるものがある。ちょう付は貼付の意味だが、「てんぷ」と誤読され、添付と混同されてきた。今どき「ちょうふ」と聞いて、貼付の漢字が浮かんでくるのはごくまれな人だろう。
 「様」でも「さま」でも、どうでもいい些細なこと。司馬遼太郎は「江戸っ子という精神類型は、自分自身で〈きまり〉をつくってそのなかで窮屈そうに生きている人柄のように思えてくる」と書いている。池波正太郎を追悼する文章「若いころの池波さん」(『剣客商売読本』新潮文庫)の中にある。自分が江戸っ子という意識はとりわけ持たないが、東京に生まれ育った者としては、納得するところが多分にある。(2022,3,16)

◇次回の更新は3月30日を予定しています。

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