日本経済新聞の書評面の短期連載コラムを読んでいたら、筆者江國香織の肩書が「小説家」となっていた。すぐ横に町田康が書評を載せていて、肩書が作家となっている。この違いがよくわからない。町田は芥川賞、江國は直木賞をそれぞれ受賞している。私の今までの編集常識でいうと、両者とも「作家」で、なんの問題はない。「作家」と「小説家」はどう違うのだろう。
1985年(下期)に林真理子が『最終便に間に合えば』と『京都まで』の2作でようやく直木賞を受賞(5回目)したさいに、「これで堂々と作家を名乗れるようになりました」と賢(さか)しら口で胸を張ったのを思い出す。
作家といえば、小説を生業(なりわい)としている人を指すのが一般的だった。ところが時代の移り変わりでメディアが多様化し、小説以外の「作家活動」の場が増えてきた。一方で文筆の徒だけでなく、音楽や映像などのさまざまな分野から文学に創造活動を求める人たちも増えてきた。
作家の活動範囲が拡大し、「小説を書かない作家」が勢いよく繁殖しているところから、「小説専従者」を「小説家」と区別するようになったと考えられる。
近ごろ世間の人は、小説に限らずエッセーでもコラムでも、何かしら文章を発表している人を、すべて作家と思いこんでいるようだ。文学作品としての物語(小説)を書く人でなければ、以前は作家と言わなかった。だから林真理子のいわんとするところも理解できるのだが、どうやらその時代は去ったようだ。
確かに◯◯作家という肩書が増えてきた。例えば、ノンフィクション作家や推理作家、SF作家といった作家をよく聞く。
推理小説はその昔、探偵小説といった。江戸川乱歩の作品が代表的で、乱歩は1947年に日本探偵作家クラブを創設し、初代の会長に就任する。その後1963年に創設された日本推理作家協会に継続発展していく。初代会長の乱歩が病に倒れたので、すぐに松本清張が協会の会長を務めた。協会は日本推理作家協会賞と江戸川乱歩賞を主催管掌している。
江戸川乱歩賞は当初乱歩の寄付金で創設された。現在では長編推理小説を公募し、推理作家の登竜門として権威ある新人賞となった。受賞者には陳舜臣、西村京太郎、森村誠一など錚々たる作家の名前が並んでいる。未発表の長編に限り、副賞の1000万円(本年から500万円に減額)もさることながら、講談社から出版され、印税が作者の許に入るほか、映像化の権利はフジテレビが優先権を持つ。
松本清張や水上勉の登場で社会派推理小説なる言葉が生まれ、トリックの巧拙と謎解き、犯人捜しが重視された「探偵小説」から人間の心理、情感に迫る小説へと変貌していった。一般の小説(特に純文学)に比べて、推理小説やSF小説は一段低く見られるところがあった。そのひがみとコンプレックスが複雑な化学反応を起こし、大きな抵抗勢力になったということだろう。
直木賞がミステリー、SF、ショートショートに対して、冷たいという意見が古くからあった。蔑視とまではいわないが、一段低くみた傾向は否めない。選考委員はSF小説にアレルギーに似た拒絶反応があるのではないかと、までいう人もいた。
1979年に発表された筒井康隆の『大いなる助走』(文藝春秋)は、直木賞と思われる文学賞とその選考委員たちを戯画化した長編小説で、賞を巡る滑稽ぶりを小説にし、映画化もされた。高齢化と新しいジャンルに無理解な選考委員へのうっ憤が底流にあったとみる向きが多い。
文学や小説の世界が多様化し、表現方法も多岐にわたるようになった。直木賞の選に漏れた推理、SF、ショートショート系の大物作家といえば、当の筒井康隆を初めとして星新一、小松左京、戸川昌子、山川方夫、半村良、田中光二、山田正紀、眉村卓、結城昌治、広瀬正などの名前が挙がるが、作風の違う作品で受賞した人もいる。本人にしてみれば、不本意な受賞かもしれないが、内心はうかがい知れない。
ところで作家と小説家を分けたからといっても、さまざまな問題が残る。「小説家」とまとめてみても、小説自体の中身が幅広くさまざまなスタイルを生み出した。
SF作家とか、児童文学、絵本作家、J(ジュブナイル)文学(小説)、ラノベ(ライトノベル)、ファンタジー小説と細かく分類する考え方もある。ノン・ノベルという名の新書や文庫のシリーズを設けた出版社もある。そのうち「ノベルズ作家」という呼び方が生まれるかもしれない。
ミステリーの中にも最近は「イヤミス」なる呼称がある。読後に「いやみ」を感じるミステリーで、怪奇、恐怖が含まれることもあるが、救いのない絶望感しか残らない小説を刺す。湊かなえが代表的作家といわれる。内容の読後感とは関係ないが、ナンセンスなコント風の軽い推理小説をいう場合もある。
一口に「小説家」といっても、マルチな才能を持った人たちによって、小説の内容が多様化してきたということだろう。町田康もそうだし、お笑いタレントが芥川賞を受賞する時代になった。
少し古くなるが、テレビで活躍していた藤本義一(『鬼の詩』1974年下期・4回目)や政治家でタレントの青島幸男(『人間万事塞翁が丙午』1981年上期・初回)の直木賞受賞がある。日本人は、この道一筋という姿勢を重用する。「虚仮(こけ)の一心」という生き方に共感を覚え、高い評価を与える傾向が強い。選考委員が、テレビで華々しく活躍するタレントを嫌ったことは容易に考えられる。それに反発し「何としても賞を取る」と公言し、実際に取ってしまった才能と努力は素晴らしいものがある。
しかし文学に専念してもらいたいという選考委員サイドからの要望と期待に応えたかどうか、と問われると疑問符が付く。藤本や青島らから、その批判を覆すだけの次作が出なかった。受賞の達成感と共に、執筆するエネルギーと才能が枯渇したのかもしれない。
昔なら著述業、文筆家という言葉があった。ある作家の運転で四国を取材中、交通違反がらみで警官から職業を尋ねられ、「文士です」と答えていたが、果たして警官に通じたかどうかはわからない。
農民作家といわれたのが7月10日に86歳で亡くなった佐賀県唐津の山下惣一。「減反神社」は第85回(81年上期)直木賞の候補になった。名刺の肩書に「百姓」と記した人に会ったことがある。自尊心の陰によほどの屈託があったのだろう。
詩人ではなく現代詩作家と自称する例もある。H氏賞や鮎川信夫賞を受賞している荒川洋治は、1996年から現代詩作家と名乗っている。
<90年代に入って社会的な事物に関心を深め、社会につながる意識をもって書き始めたことで、「詩人」の呼称が窮屈になってきたからだという。自身の詩は批評であり、エッセーもあり、物語でもあると思って書いている。>(「東京新聞」ウエブ21年4月3日)
詩人というと、さすがに吟遊詩人を想起する人は少ないだろうが、「私の詩集です」と書いた紙を首からぶら下げて、盛り場の街頭に立って詩集を売っていた人のイメージを浮かべる人もいるはずだ。なぜか女性が多く、一冊100円か200円で、ガリ版刷りだった。今はほとんど見かけなくなった。
今、俳句を造る人の数は多い。もちろんピンからキリで、玉石混交なのは当然だ。句集を数冊出しただけで、俳人というより「俳句作家」と称する人も目に付く。詩人は「死人」、俳人は「廃人」のイメージがあるからという説を聞いたことがある。本当かなあ。歌人を名乗る人は多いのに、俳人は嫌われているようだ。
テレビで俳句の添削に定評のある夏井いつきは、俳人を目指して中学校の教師を辞めた。「俳人になるために教職を去りたい」と校長に退職する旨を申しでると、校長は「廃人になりたいのか?」と怪訝な表情を浮かべたという。
話はちょっと脇に逸れるが、昨年亡くなった人間国宝の柳家小三治は、噺家といわれるのをあまり好まず、自らは「落語家がいい」と高座で話していた。噺家というと何か「歯の抜けた人みたいじゃありませんか」というのがオチだ。さらに「真打になる時に、小三治よりもほかのある名跡に目を付けていたんです。だけど小三治の小(こ)がいいんです。大きくしてごらんなさい『だいさんじ(大惨事)』になっちゃうでしょう」と続ける。
「書評家」という肩書を目にするが、これもよくわからない。書評家といって通じるのは岡崎武志,村上貴史くらいのものではないか。どうも最近は「ネット作家」という作家が増えてきたようで、その世界では良く知られているらしい。私と同じ年代のある評論家は、「そういう人たちには、あまり書評してもらいたくはないなあ」とぼやいていた。本音だろう。その心情はよくわかる。
書評の肩書に最近、書店員というのを見るけど、これもよくわからない。取り上げる書籍の領域によって、相応しい評者を選ぶことはよくある。
例えば今年度の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した鈴木忠平の『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)を元プロ野球選手なり現役でも元でも構わないが監督経験者に書評を頼むような場合が考えられる。書評の枠を超えた新鮮な見方に出会えるかもしれない。
書店に勤める人を別に貶(けな)したり下に見るわけでもないが、ただ書店員に書評を頼む意味が分からない。私が知らないだけで、文芸作品に精通し、卓越した見識と独自の視点をお持ちなのだろう。スポーツ用具販売業の店員が、プロ野球の評論家を名乗るようなもの、といったらいい過ぎか。
日本文藝家協会の会員名簿を兼ねる『日本文藝年鑑』の「文化各界人名簿」(2021)を見ていたら、「小説家」という人がわずかながら目に付いた。本人の希望なのであろう。著名なのは京極夏彦くらいで、ほとんどが無名に近い人達だった。
朝日新聞でも書評委員の金平ひとみと澤田瞳子の肩書は小説家となっている。毎日新聞では、小説家という肩書は用いてない。一口に小説言っても、多様な分野があることはわかった。そのすべてが「小説家」という肩書に包摂されるわけではない。肩書といっても、なかなか厄介な問題を抱えているものだ。=敬称略
=(2022.7,20)
◇次回の更新は8月4日を予定しています。