9月某日 手術からちょうど一週間たった8日目。移植した切創部のガーゼを取り外した。右足の踵の左側面から底にかけて、アヒルの玉子くらいの大きさで真っ赤になっている。鯛の薄造りくらいの厚さで、削り取ったようだ。
「大丈夫ですね。うまくいっています」
やはり、執刀医は「神のみぞ知る」といいながらも自信があったに違いない。うまくいったのは良いが、痛みは依然として残っている。最近ようやく足指の感覚が戻ってきて、「自分の足」であるのを実感できるようになったところだ。傷口の近くを触っただけで、ジンと感じる。血栓予防のために巻かれた両足の「脚絆」はそのまま。
食欲は全くなし。どれを食べても、同じ味がする。味噌汁の出汁の味がしない。野菜の煮物などと同じ味だ。どうも精進料理の流れを汲んでいるのか、椎茸か乾燥野菜の香りばかりして、味が何も主張しない。これが「味覚障害」というものなのか。傷口はまたふたをしたように閉じられ、毎日薬とガーゼを交換する。別にすることもなく、ベッドの上でじっと天井を睨んでいる。
術後ずっと続いている血尿がなかなか止まらない。泌尿器科に頼んで、検査をしてもらうことになった。車椅子に乗せられて泌尿器科へ。外来患者となるべく顔を合わせないように裏道を通る。ちょっとした遠足気分だ。
10月某日 病院内のカルテはすべて電子化されて、患者は腕に巻かれたバーコード(患者番号)で管理されている。点滴一本取っても、患者のバーコードをセンサーが付いた読み取り機に当て、点滴の瓶の製造番号と照合する。スーパーマーケットの棚に並べられた肉や野菜などの商品と変わるところはない。たな卸の返品期限と賞味期限を確認されているような気分だ。
医師からの今日行う検査、消毒などの予定もすべて、看護師の下に集められる。看護師は看護師の方で、患者の入浴、洗髪、身体の清掃、シーツの交換といった予定がある。検査の合間を縫って適当な時間に処理していかなくてはならない。
患者は看護師から検査や治療の予定を知ることになる。採血などの検査データも、電子カルテに入力されている。すべての情報を知らせてくれるわけではないが、「医師が説明するのが筋だろう」と、文句を付けている患者がいた。ごもっともだ。
10月某日 治療中一番の悩みは排泄作業だ。歩行禁止だから、原則トイレにも行けない。小の方は導尿か尿瓶(しびん)を用いる。尿瓶といっても最近の人はわからないらしく、「尿器」という言葉も使うようだ。
傾向として、尿瓶は「感染症予防」のためから病室に長く放置してはいけない。特に新型コロナウイルス以後、厳しくなったようだ。だけど多くの人はそんなことを知らない。瓶の中に溜めたまま病室内に置いておくと思っている。現在は終わったら外で待っていた看護師がすぐに持ち去っていく。待たれているとなると、なかなか出ないものなんですな。
お隣のベッドの人は足を手術したため歩けない。ナースコールで「尿瓶をお願いします」と頼んでいる。
「そこに置いといてください」と頼んでも、「終わったら、そのまま持っていきますから」と若い看護師は動かない。「そうなの、知らなかった……急には出ないよ」と不服そうな面持ち。「溜まって、出ると思ってから呼んでください。すぐ持ってきますから」と若い看護師も負けていない。
「わかった。わかったよ。それから……もう一つ。お願いすることがあったんだけどな……。思い出せないな……」
前にも書いたように、細かなことでも、看護師さんに頼まなくてはいけない。一度呼んだら、やってもらいたいことはいっぱいある。何回も来てもらうのは大変だから、という看護師への気配りなのだ。
なんだったかなあ……、なかなか思い出せないご様子に、しびれを切らした看護師が、「言いたいことが溜まったら、呼んでください」と言い放って帰って行った。
これには笑った。頭の中で言いたいことと尿意に関連があるとは、面白いことを教えてくれた。
尿意だけでなく、大きい方の便意についても記さなくてはいけないのだが、スカトロジーについては、残念なことにそれほど造詣が深くないし、趣味も無いので割愛したい。
10月某日 手術から2週間経った。ようやく抜糸だ。傷口は毎日石鹸で洗って、ユーパスター軟膏という褥瘡(じょくそう)や皮膚潰瘍(かいよう)治療剤を塗布する。傷口を清潔に保って、乾燥させないためらしい。あとは月日の経過とともに、移植した新しい皮膚がうまく接着して、なじんでいくのを待つ。
退院したら、自分で処置しなくてはいけない。その訓練として、自分一人で試みる。傷口を水道の水で洗うというのは、今までの応急処置としてあまり経験したことはない。泡立てた石鹸の上から傷口を手のひらで優しくなでる。気持ちの良いものではないが、だんだん慣れてくる。生傷が絶えなかった私の子供のころは、切り傷と言えば、早くカサブタを作ることを考えたが、今は乾燥させないようにするらしい。もちろん傷の程度によっても違うのだろうけど。
看護師や若い医師が「ご自宅は平屋ですか、二階建てですか。寝室とトイレはどのくらい離れていますか。どなたかご家族で、処置を手伝ってくれる人はいますか」などと、しきりに尋ねてくる。退院してからも、自宅で毎日処置を続けなくてはいけない。一人くらしの高齢者も多いだろうし、自分一人の手で消毒、軟膏の塗布から包帯を巻くのは難儀な作業になる。
10月某日 助手さんと呼ばれている正規の職員では無い看護助手の人たちがいる。派遣会社からきているのかどうかわからない。必ずしも将来の看護師を目指しているわけではなく、病院事務職を目指している人もいる。患者の買い物や、食事の配膳、シーツの交換など直接の医療行為とは関係ない雑務一般を担う。
今日は、助手さんが髪の毛を洗ってくれるという。有り難いことだ。長期の入院を覚悟して、かなり短髪に刈り上げてきたが、洗髪はうれしい。理容師や美容師の資格があるわけではないが、手慣れている。「どこか痒(かゆ)いところは有りますか」と、プロみたいなことをいうので、「背中」と答えると、プッと噴き出して、「この辺ですか」と言って石鹸が付いていない肘で、グリグリと掻いてくれた。物わかりがいい、センスがある人だ。
10月某日 手術後ずっと続いている点滴も止まる気配がない。どうも血液検査によるCRPの数値が下がってこないようだ。体内の炎症や感染症の有無を検査する数値で、平常時なら限りなく0に近い数値になる。
さらにCT検査の結果、肺炎を起こしているという。熱はないし咳が出るわけでもない。喀痰検査と言われても、痰がでない。そのうち新型コロナウイルスの感染まで疑われ、別室へ連れていかれた。途端に看護師など周囲にいる人たちの態度に緊張が走り、急にものものしくなった。若い医師が防護服に着かえ、慎重な面持ちで言葉も少なくなった。
二、三時間たって、結局「無罪放免」となった。CRPの値も下がり始めたようだ。
10月某日 手術してから約3週間が経った。それでも退院しますという声は聞こえてこない。相変わらず、「処置を手伝ってくれる人はいますか」と尋ねてくるので、「東急東横線の某駅前にエプロン姿の町会の人たちが小旗を手にして、毎日出迎えに来ています」といっても、あまり通じないようだ。こちらは出兵兵士を送る光景を描いているのだから、通じるわけがない。
看護師たちは控室で「訳のわからないことをいう年配の患者の対応が一番困る」などと愚痴をいっているかもしない。しかし裏の方(表か)では、退院時期について検討されているのは間違いなさそうだ。
10月某日 それにしても意識の変化というか、時代の流れか一部の看護師たちには、看護師精神の変化が見られるようだ。自分の勤務時間と相談して、都合よく仕事を配分してしまうところが見受けられた。ちょっと時間がかかりそうな患者の仕事は明日に延ばしてしまうのだ。「午後は少し暇になりそうなので」と言われれば、こちらも向こうの都合に合わせようとする。まあ、こちらが勝手に旧来の「看護師像」を描いているのかもしれない。
病人というのは、どうしてもわがままになりがちだが、やむを得ない事情もある。深夜の明け方近く、大変とは思いつつも尿瓶をお願いすると、ジョッキみたいな計量カップを無言のまま股間にぐいと差し込んでいく看護師がいた。計量カップは尿器として認められているのだが、持ち手が付いていないふつうの大きなコップだから、やはりこぼしやすい。わざわざ持ってきてあげましたよ、といわんばかりだ。
昼間に会うと、にこやかな顔をした当たり前の看護師に戻っている。
10月某日 硬い踵の裏に柔らかいお尻の皮膚を移植したわけだから、そう簡単には元に復さないことくらい、素人にもわかる。私がもう少し若く、ゴルフやテニスなどの運動をさらに続けるつもりなら、もう一方の足の裏の「土踏まず」の部分を移植するという手もあった。
「土踏まず」のところへは、お尻の皮膚を持ってくる「三角トレード」みたいなもの。ひと手間多くなるがお尻の皮膚よりは少し厚いから、復帰が早いというか、短時間で硬い足の裏が手に入るということだ。丁寧と言えば、丁寧だが、2か所で済む手術が3か所になる。若いスポーツ選手など、激しい運動をする人には必要かもしれない。手術前に医師から、どちらを選ぶか尋ねられたが自分の年齢を考え、直接お尻の皮膚を移植することにした。
後から考えて、これが大正解だった。というのは、踵の術後の痛みが痛烈で、歩くのもままならない。これほどの痛みが続くとは、想像していなかった。手術しない方の足は片足で立てるが、手術した足はつま先しか使えない。杖を使い手すりに伝っての「つま先歩き」だが、歩けることは歩ける。これが両足手術したとなると、満足に立てる足が一本も無い。松葉づえを使っても、歩けるかどうか。考えるだに恐ろしい。片足だけでもあの痛みを経験したら、両足なんかまっぴらごめんだ。
まあ、ラケットを握ってコートに立つことはあきらめた。2022年はロジャー・フェデラーと重金敦之が現役を引退した年として、後世に残ることだろう。呵々。
10月某日 お世話になっていて、文句を言うのもお門違いだが、若い看護師さんの言葉づかいを聞いていると、面白い。なにせ当方は後期高齢者だから、幼児化しているのは如何ともしがたい事実だ。相手を幼児とみて話しかけてくるのもやむを得ない。しかし、意識もはっきりして、多少の嫌みは言うかもしれないが、人並の作業は自力でこなせる。それを捕まえて、「ドッコイショ」と掛け声を掛けてくれるくらいは許せるが、「はい、起きましょうね」とか、「お口をぶくぶくしますよ」などと幼児語で話しかけられるのも困る。退行の傾向が一層早まってしまうではないか。看護師の立場からすると、同年代の相手と対話するのは、何の苦もないのだろうが、年配の患者と会話をする際の「位(くらい)取り」が困るのだろう。単純な年長者というわけでもなく、ある程度指導的立場に立たなければならない場合もある。尊敬語でもなく謙譲語でもなく、「ウ
ン、ウ
ン、ウ
ン」と相槌を打たれ、「ソウナンデスネー」と「タメ口」で応じられるのにも、いつの間にか気にならなくなってきた。
=この項続く(2022.12,21)
◇次回は2023年1月18日に更新の予定です。